| 天正元年(1573) 37歳
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| 信長、将軍義昭を追放処分として秀吉に命じ河内の若さに護送させる。(室町幕府滅亡)9月1日秀吉によりついに小谷城落城
、浅井氏の旧領江北北三郡(12万石)を与えられ一国一城の大名になり、姓を木下から羽柴に改姓する。 |
| 天正2年(1574) 38歳 |
| 小谷城から今浜に移転しその地を長浜と改め、筑前守を称し羽柴筑前守秀吉となる。 |
| 天正3年(1575) 39歳
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| 石山本願寺攻めに従軍した後、織田・徳川連合軍による武田勝頼との一戦「長篠の戦い」
に参陣する。 |
| 天正4年(1576) 40歳
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| 信長近江安土に築城。 |
| 天正5年(1577) 41歳 |
紀伊の雑賀・根来討伐に参陣。8月8日柴田勝家を総大将とする上杉謙信進入の備えに派遣されるが、勝家との作戦上での意見の食い違いで信長の許可なくして戦線離脱、長浜に帰国
して信長の逆鱗に触れる。
その時松永久秀の謀反 が起こり、秀吉出陣。その後中国方面の最高指揮官を信長から命じられ、播磨に出陣。 |
| 天正6年(1578) 42歳
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| 三木城主別所長治が反旗を翻したため、上月城の尼子氏救援
を断念し、三木城攻略に全力を注ぐ。 |
| 天正7年(1579) 43歳 |
| 三木城を兵糧攻めにする。(三木の干殺し)秀吉の参謀、
竹中半兵衛重治
が陣中で没する。 |
| 天正8年(1580) 44歳
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| 別所長治自刃、三木城落城。信長から播磨の支配権を与えられる。舎弟羽柴秀長
が但馬を平定。 |
| 天正9年(1581) 45歳
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| 姫路城築城。因幡進行のため鳥取城を包囲
し吉川経家自刃落城させる。11月8日姫路に凱旋と同時に淡路島に上陸、平定する。 |
| 天正10年(1582) 46歳 |
高松城主清水宗治攻略
のため、高松城を包囲し足守川を堰き止めて水攻めをする。6月2日明智光秀が信長を急襲、本能寺の変起こる。その事実を知り、清水宗治切腹で毛利と和議を結び、姫路へ帰郷した。(中国大がえし)
6月13日明智光秀を山崎にて撃破 し、信長の敵を討つ。6月27日清洲会議
が開かれ織田家の後継者に信忠の遺児三法師が決まる。大々的に信長の葬儀を大徳寺で行い天下に宣伝する。
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| 天正11年(1583) 47歳
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4月21日織田家の反秀吉勢力の中心である柴田勝家の武将佐久間盛政を賤ヶ岳で撃破
し、23日北の庄城に勝家を包囲し破る。その後加賀を平定する。
朝廷より勅使を長浜城に迎え信長に変わる実力者として期待される。大阪に築城を開始する。 |
| 天正12年(1584) 48歳
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| 4月9日徳川家康・織田信雄連合軍と小牧・長久手の戦い
が始まる。この戦いで池田恒興・森長可が戦死する。11月15日信雄と和睦を結ぶ。
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